高倉健さんと菅原文太さん逝く
先月、東映のヤクザ映画時代をになった2枚看板スターが申し合わせたように旅立たれました。お二人がヤクザ映画で活躍された頃、私は二十歳前後。邦画、洋画にこだわらず映画をよく観ていた時期です。
当時の東映映画は特に好んで観ていたわけわけでもないのですが、お二人の作品をはじめかなりの本数を観ています。もちろん、封切館ではなく三番館と呼ばれていた映画館。二本立てや三本立てで観ていました。
私が高倉健さんを認識したのは、看板スターになる前。親に連れられて観た美空ひばりさん主演の現代劇。若いサラリーマン役だったのか、白いシャツにネクタイ姿。饒舌な役だったように思います。幼い頃の記憶ですので不確かではありますが・・・
菅原文太さんを認識したのは、「仁義なき戦い」の前に主演した「木枯らし紋次郎」。当時、テレビで中村敦夫さん主演で大ヒットした笹沢左保原作の映画版。文太さんの紋次郎は、何となく寂しげなアウトローだったように私には思えました。
お二人が活躍された頃は、すでに多くの映画俳優が、テレビに移行していた時代でした。そんな事でいうと、映画が娯楽の中心であった最後の銀幕スターだったと言えるのかもしれません。そんなお二人に合唱。
当時の東映映画は特に好んで観ていたわけわけでもないのですが、お二人の作品をはじめかなりの本数を観ています。もちろん、封切館ではなく三番館と呼ばれていた映画館。二本立てや三本立てで観ていました。
私が高倉健さんを認識したのは、看板スターになる前。親に連れられて観た美空ひばりさん主演の現代劇。若いサラリーマン役だったのか、白いシャツにネクタイ姿。饒舌な役だったように思います。幼い頃の記憶ですので不確かではありますが・・・
菅原文太さんを認識したのは、「仁義なき戦い」の前に主演した「木枯らし紋次郎」。当時、テレビで中村敦夫さん主演で大ヒットした笹沢左保原作の映画版。文太さんの紋次郎は、何となく寂しげなアウトローだったように私には思えました。
お二人が活躍された頃は、すでに多くの映画俳優が、テレビに移行していた時代でした。そんな事でいうと、映画が娯楽の中心であった最後の銀幕スターだったと言えるのかもしれません。そんなお二人に合唱。
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